Photoshop写真補正覚書

白熱灯環境で撮った写真の色かぶりで、RAWデータがなくてJPGしかない時の応急処置的な補正のメモ。

レイヤー>調整レイヤー>カラーバランスで

1.イエロー&ブルーを、ブルーよりにレベルを上げる
このとき相対的に赤みが強くなる場合はレッド、マゼンダも調整

レイヤー>調整レイヤー>特定色域の選択で

2.白色系>シアン・マゼンダ・イエローのレベルを下げる
画面の中のハイライト部分を白に近づける

3.中間色系シアン・マゼンダ・イエローを調整
シアン多めにすると昼光ぽくなる

最後に必要に応じて露光量、明るさ・コントラスト、ハイライト・シャドウあたりを微調整すると、こんな感じにちょっとはマシになる(´・ω・`)

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上以外に、レイヤー>調整レイヤー>レンズフィルターで調整するのもよさそう。

寸暇を惜しんで本を読む

ここ1年くらい、今までない程に本をよく読んでいる。本屋やAmazonでも買うし、購入するには至らない程の本は図書館で見繕ってせっせと借りてきたり。

このGW中も遠出はせず、近所のカフェで延々と司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んでいた。

去年からNHKで真田丸やらブラタモリを見ていたせいか、すっかり歴史ものにスイッチが入ってしまったみたいで、徳川幕府と江戸時代が最後どういう終わり方になって、それが今の時代にどういう影響を与えたのか、この辺を知りたいならやっぱり司馬遼太郎さんかと思い読み始めたのがきっかけ。

そしたら歴史やあらすじそっちのけで、司馬さんの解釈する竜馬や市井の人々の営みにすっかり引き込まれている。司馬さんの作品ってもっと難解なのかと思っていたら、セリフも多いし、描写は豊かなのに言葉は平易で、こんなに漫画感覚でスイスイ読めてしまうなんて意外だった。

幼少期は本なんてほとんど読まず、ずっと漫画や雑誌ばかりだったのに、どうして40前にしてこんなに本を読むようになったのか(読めるようになったのか)考えてみたら、2つほど思い当たるふしが。

ひとつは、幼少期に本を受けつけなかったのは、小学校のときに書かされる読書感想文によるものらしい。「本を読んだら何かしらの感想を持ち、さらにそれをまわりの人に伝わる文章にする」という作業が本当に窮屈で、自分を本嫌いにした要因のひとつだったみたいだ。

本って、読んだ後にとめどなく思うところが湧き出てくる本もあれば、何もくすぐられるところがない本もある。それは一般的に言われる名著や駄作とかじゃなくて、自分と相性がよいかどうか。

自分と相性がよくない本について読書感想文を書くときは、感想を捏造することになる。捏造された感想はたいがいは先生受けする歯の浮くような内容で、それを書き続けることは本を読むこと自体、丸ごと嫌にさせていたらしい。

もうひとつは、大人になってから本の読み方が変わったこと。
本って、最初から最後まで一言一句見逃さず、自分の頭の中で結ぶ映像に矛盾なく読み進めていかないといけない、という強迫観念みたいのがあった。

今は好きなページをぱっと開いて、見出しが面白そうだったらそこから読み始めたり、まずはその本の要旨から入ることができるようになった。興味がわかないのは途中でスパッと読むのをやめたりもする。

この2つの気づきは自分にとってけっこう大きい。本を読めない&読まないことは、人生のちょっとした愉しみを損している気もしてたし、本をたくさん読む人が実は少しうらやましくもあったから。

そんなこんなで、いい本に出会うと色々気づくことも出てくるわけで、ブログにも覚書メモみたいなのちょいちょい残していこうと思う。

プッシュ通知やめた話

仕事でもプライベートでもプッシュ通知受けることが増えてきている最近、自分が本来集中していたことが寸断されたり「あれ、何やってたっけ」ってなることも多くなってきたので、主要な通知以外は全部切ってみた。

そしたら大変快適。

プッシュ通知受けて即レス&対応してるとひと仕事終えた気がするけど、そんな気がしているだけで、実際は今日の自分が目標にしてたことは全然達成できてなかったりする。

緊急性の高いものはチャットでくるし、たとえばGithubだったらメール通知はオフってウェブの通知ページを数時間に一度開いてリロードする、これでおけ。

シンボルフォント作成覚書

最近Icomoon使ってシンボルフォント作ることが多い。いじる度に「あれこれどうやるんだっけ」ってなるのでメモ。

・SVGの書き出しはメニュー>ファイル>書き出し>SVG形式でやる
 ※「テンプレートとして保存」は使わない

・AIだとファイル名&アートボード名で書き出しされるので、renameはName Mangler使うと便利

・AIは元のパス作成のみにし、SVGのエクスポートはSkech使うと便利

・アートボードサイズよりもアイコンはひとまわり小さくすると端が切れない
(例)24x24のアートボードに対してアイコンは長辺20px

・アートボードど真ん中ではなく、実際に文頭で使われるときの中央位置で配置しておくと便利そう(参考)Material Icon

・座標、サイズ共に整数にする

・ピクセルグリッドに整合をオンにしているとうまくアートボードの中央に整列されないので、チェックははずす

これからの時代の絵

これからの時代は絵がものすごく緻密である必要ってないのかも。
緻密な絵は機械が描けるようになっていくのでしょうし。

まだうまくまとまってないけど、

くったくがなく、拙さがあり、ゆるくて、クスッとしちゃうような絵

がいいんじゃないかしら。

最近映画や漫画とか、あとはLINEスタンプ、てぬぐい、カレンダーとかとか、身の回りにある絵を見て思ったこと。

コハダのススメ

冬になると近所のスーパーや魚屋にコハダの酢漬けが出回るんだけど、これがとてもおいしくて毎年楽しみにしてる。

酢漬けなので日持ちするし、お寿司屋さんのよりもモリッと肉厚でコハダコハダしてるのが◎

久々だし新年だし、去年の振り返りとか〜抱負とか〜と思ったけど結局箸にも棒にもかからないコハダネタに(´Д` )ちゃららーん。

2017.1.11 謹賀新年🍣

雑誌が売れないとよく言うけれど

雑誌のサイトやFacebookページとかのSNSは何のかんの言ってよく見られてるんだなあと、調べ物をしていて気づいた。PVやLike数がけっこうあったり。

雑誌的な情報のニーズ自体が低下したわけではなくて、物理的な紙にお金をだしたり置いておく空間を確保する閾値が上がって購入されなくなっただけで、コンテンツにはまだまだ全然みんな興味ある。

ただコンテンツはどんどん無料になる時代の流れなので、お金を取るポイントをほかに探さないといけなくて、ヒーヒー言ってるのが今。

「雑誌はオワコン」みたいなことってよく言われるけど、コンテンツ自体はオワコンなのではなくて、課金プラットフォームとしてオワコンというだけ、という点を混同しないようにせねばなーと(「オワプラ」と言うべきか…)

デザインのしごとって

ものづくり

というより、

ひとだすけ

というほうがしっくりくる、今日この頃。

かばんは持ち手が太いほうが可愛い

ということに最近気づいて、今日は新しいかばんを買った。持ち手が太めのしましまトート。

やっぱりかわいい!

古いものと新しいもの

最近ぴかぴかに新しいものより、古いものの方がおもしろいな、と思うことが多くなった。

自分が生まれるよりずっと昔に作られた車を見て、今の車よりいいデザインだな〜というのもあるし、身の回りの当たり前のものや風景に、温故知新的に今まで見えなかった発見をすることもある。

年を取ると昔のものを懐かしんだり、新しいものが受け入れられなくなるというし、もしやこれが老化ってやつなのかしら…と思ってたけど、この記事を読んではっとした。

見立てという方法とともにある日本

年を取ったから、というところでは確かにそうなんだけど、単純な生物的な老化というより、年を取るといろんな知識や体験が増えた分、文脈の蓄積がおこるから、今まで見てきたものが違うように見えてくる、ゆえに今までおもしろくなかったものも、おもしろがれるようになる、ということなのやも。

たとえば行ったこともない土地にわざわざ旅行にいかなくとも、近所の公園でも毎日何かしら新しい発見ができてそこに面白さを見出せる、というような。近所で毎日わくわく楽しめるなら、これはけっこう幸せなことなのかもしれない。(旅行は旅行でいきたいけれども)

上の記事みたいなのを読むと、日本史ちゃんとやりなおしたいと思う。てはじめに司馬遼太郎でも読んでみようかな。